辻家の人々

【連載小説「辻家の人々」】024 Oさんの牛乳プリン

指定強化選手に選ばれたことで、1軍の選手の気迫と技術力に圧倒された日の翌朝、僕は始発の電車で学校へと向かっていた。

目的は早朝からの個人練習。いわゆる朝練というヤツだ。眠い目をこすりながら電車に揺られ、約1時間後には校門をくぐる。とにかく練習を重ね、レベルアップを図る――その一心だった。

それから毎日、朝5時の始発に乗り、早朝から個人練習。授業を受け15時半から21時前後まで全体練習。さらに終電まで個人練習……家に帰るとご飯を食べて風呂に入って即就寝。

通学時間・授業中・就寝中…以外のほとんどの時間で体を酷使する、まさに高校野球中心の生活を過ごした。1軍で足を引っ張らないように……その気持ちがモチベーションだった。

しかし、そんな日々が1ヶ月以上続くと、慣れもあったのだろうか、脆くも初心は薄れはじめ、モチベーションの低下が見え隠れするようになった。

最初の1ヶ月は常に色々と考えて練習していたが、段々と思考することを放棄し始め、「何となく投手が投げた球を打つ」、「何となく飛んで来た球を取る」……ただそれだけの“作業”と化していた。

これでは駄目だとわかっていても気持ちも体もついていかない。1ヶ月間の練習で多少なりとも技術が向上したことで、“上手くこなせる”ようになってしまったのも、モチベーション低下の原因の1つだった。

そんなある日、いつものように朝練を終えて教室に向かっていると突然声を掛けられた。

「辻くん、おはよう。今日も朝練?」
クラスメイトの女子・Oさんだった。

ウチの学校にも一応それなりの校則が存在したが、あくまでそれは形だけ。髪の毛が何色だろうが、制服をどのように着こなそうが、スカートの丈がひざ上何センチだろうが教師は見て見ぬふり。朝のホームルームなんて8割揃えばよい方だし、学校を休む時に連絡する者も皆無。それぐらいユルユルだった。

しかし、Oさんはそんな校風に染まらず、髪も黒く、スカートも(残念ながら)ひざが見えるか見えないかのライン、ウチの学校では珍しく、見た目の地味な女子だった。

僕は作業のように淡々と練習をしていたにも関わらず、如何にも激しい朝練をしてきたような雰囲気を出しながら頷いた。

「毎日偉いね! そんな頑張り屋さんの辻くんにはコレをあげよう!」

そう言って彼女はコンビニの袋から牛乳プリンを僕に差し出した。地味な女子の満面の笑みと可愛らしい言葉のチョイス。

思わず『天使かよ!』と言いたくなるほどのギャップに一瞬で心を持っていかれた。

その日の全体練習後。僕はいつものように個人練習へ入ろうとするとコーチに呼び止められた。

「おい、ドラ息子‼」
語尾を強めたいつもの言い方だ。

「最近、心身ともに疲れてるな。…それぐらいは手に取るように分かる。そこでな、監督と話して……お前を一度、1軍から外す方向で話を進めていたんだが……」

一瞬で頭の中が真っ白になった。ただ、「慣れ」と「こなしている」練習態度……思い当たる節しかない。僕は素直に謝った。弁明をする、というよりは己の弛んだモチベーションを見透かされた、と思ったからだった。

明日から2軍へ降格……それはつまり、夏の大会への切符を失うことを意味する。悔やんでも悔やみきれない気持ちで下を向いていると、意外な言葉が返ってきた。

「いや、怒っているわけではない。それと今日の練習を見て2軍への話は見送りになったから安心しろ。今日みたいにしっかり気持ち入れて行けよ‼ 抜くんじゃねーぞ‼」

そう言われて、Oさんからもらった牛乳プリンを思い出した。もちろん、牛乳プリンに気合を注入する効果があるわけないし、放課後の練習中もOさんのことを考えていたわけではない。ただ、無意識のうちに僕の心と体を突き動かしてくれたのは彼女の言動であることは間違いなかった。

もし、彼女に声を掛けられていたのが翌日だったら僕は2軍送りだった。人生というのはつくづくタイミングだ、と強く思った。

そして男という生き物はつくづく単純である、とも。

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