コラム

【連載小説「辻家の人々」】036 壊れたグローブ

新チームで練習の日々を送り、秋がやってきた。春の選抜甲子園予選まで2週間となった10月のある日、練習試合の中盤で――“それ”は起きた。

相手の中軸バッターがジャストミートした強烈な打球がサードの僕を一直線に襲った。僕は必死にグローブを出し、ボールをキャッチした…と思った瞬間、目の前が真っ暗になった。

――見慣れた天井と扇風機の強烈な羽音、それと遠くに聞こえる選手たちの声。目を覚ました僕は、ここが部室であることをすぐに察した。重い体を無理矢理起こすと目の前に紐の切れた自分のグローブが置いてあった。僕は再び横になって状況を整理したのち、落ち着いたタイミングで監督のもとに向かった。

監督は言った。

「グローブに1度収まったとはいえ、顔にボールが当たったんだ。今から病院に行って今日はそのまま帰れ」

打球がグローブを突き抜けて顔面に当たったらしい。想像していた通りだった。

それにしても、ラッキーである。多少頭がクラクラするとはいえ、午後の2試合目とその後の練習をサボれる。僕はスキップしたい気持ちをグッと抑えて申し訳なさそうにグランドを後にした。

病院では打撲と診断された。病院を出て、その足でスポーツショップへグローブの切れた紐を交換しに向かった。その店は地元の高校生を贔屓してくれるところだった。

グローブを手渡し、いつものように店長の奥さんが出してくれた冷たいお茶を飲みながらしばらくの間、雑談をする。とりとめもない話をしていると、グローブがすぐ手元に返ってきた。その蘇ったグローブをはめて近くにあったボールを当ててみた。若干の違和感はあったが、気のせいだと言い聞かせて帰路に就いた。

翌日の守備練習。いつもの感覚でボールを取りにいくとどうしても弾いてしまう。昨日の違和感は本物だったのだ。

グローブは元々、大小の革と数本の長い紐が組み合わさってできている。それを自分の手やプレイスタイルに合わせて形を作る。なかでも紐の役割は、隙間を緩めたり閉めたりするという意味で重要だ。

昨日修理してもらったのは「切れた1本の紐」。つまり、僕のグローブは現在、「使い込んだ革や紐で作った形」に1本の新品の硬い紐が入っている。これまでの形に戻り、自分の手に馴染むのに時間がかかるのは当然のことだった。僕はすぐさま父親に相談した。

辻家は元々お金には超が付くほど厳しい。しかし、野球用品に関しては話が別。必要なものがあって、お願いするとなんでもすぐに手にすることができた。

ただ、勘違いはしないでほしいのだが、敗れたユニホームは繕い直して使うし、バッティング手袋も使用不可になるまでは使い込む。要するに、「なんでも」とは言っても、本当に必要だと父親が判断したものでなければ、お金をかけてはもらえないのだ。

僕は帰宅してすぐに、グローブの紐が切れた話、スポーツショップで新しい紐を通してもらった話、そして、ボールが上手く取れない話を父親に話した。僕の中ではこういった時の対応策をグローブにこだわりを持ち続けた守備の名手に聞きたかっただけなのだが、父親は無言で受話器を取り、どこかへ電話を掛けた。

「辻ですけど。夜遅くにごめんね。息子のグローブの話なんだけど、紐が切れたみたいで…うん、うん、そう。明日の夕方までにイケる? わかった。よろしくね」

そう言って電話を切った。そして、僕の方を向き

「明日、練習までに届くように手配したから」

なんと、金額にして4~5万円するグローブを頼んでくれたのだ。話を聞くと、グローブの紐が切れたらグローブの寿命。紐を変えると同じパフォーマンスは出せないという。そのため、プロ野球選手は常に使えるグローブを何個も所持しているのだ――という貴重な話を聞けた。

さらに、父親はこう続けた。

「お前がモノを大切にしない人間なら我慢して使えというが、グローブを一目見てよく手入れしているのがわかった。次も大切にしなさい」

確かに、グローブの手入れを怠ったことはなかった。ただ、それはモノを大切にしているという意識はなく、毎日磨いていれば、難しい打球も野球の神様が取らせてくれるのではないかという一種のおまじないのような気持ちだった。

いずれにせよ、大会前に不安が解消され、明日の練習の際に届くというグローブを思いながら、あとは選抜甲子園に向けて頑張るだけ――そう意気込みながら、眠りについた。

しかし、翌日に届いたグローブは、さらなる不調を招くこととなるのだった。

【辻家の人々~野球選手の息子はいかにしてスロライターになったか~】 伝説のプロ野球選手・辻発彦の息子がどんな幼少期を過ごしたのか、どんな経験を経てパチスロ必勝本ライター・辻ヤスシとなったのかを描いていくノンフィクション小説。有名人の息子ならではの苦悩や心境は、野球ファンでなくとも面白く読めると思う。

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