※この記事は許可を得て「アジト(note版マンガ雑誌)・辻家の人々016」より転載しております
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1999年10月14日。
天候はアナウンサーが『野球の神様が引退を悲しんでいるかのような空模様』と表現するように、ヤクルトの本拠地・神宮球場は開催すら危ぶまれるほどの大雨だった。
引退を決めた夏の時点で、再度一軍に定着できるほど父の怪我は軽くはなかった。
父は懸命にリハビリをしていた。
家族としては生活に支障が出ない程度、つまり無理をして逆に身体を壊すことのないようなレベルでのリハビリに留めてほしいと思っていた。
しかし、父親は毎日のようにトレーニング施設へと通い、辛いリハビリと激しいトレーニングを続けていた。
すべては引退試合となるたった1試合のために。
試合にはライオンズ時代から慣れ親しんだ1番セカンドでスタメン出場。ノムさんの配慮に感謝しかない。
予定では3イニングだった。
しかし、4回の守備にも5回の守備にもほかの選手に背中を押されながらグラウンドに足を踏み出す姿に心が躍った。
そして迎えた6回の守備。
ランナーが1塁の状況でセンターに抜けようかというあたりがセカンドを襲った。それを父親は逆シングルで掴み、そのままセカンドベースへとグラブトス。
見事ゲッツーを完成させた。
これは父親の代名詞でもあるプレーだった。
引退試合でそんなプレーを魅せられる打球が飛んでくるんだから野球の神様は本当にいるのだと感じた瞬間でもあった。
結局、フル出場した父親の打撃成績はノーヒット。それでもあのプレーが観られただけで大満足の引退試合だった。
試合終了後に行われた引退会見では父親は涙一つ流さず、終始笑顔で質問に答えていた。
『やり残したことはない。すべてを出し切った』
その気持ちが感じ取れる表情は、息子として本当に誇らしかった。