コラム

【連載小説「辻家の人々」】026 父からの1万円

とある日の夜のことだった。

野球部の練習でクタクタな僕はいつものように手も洗わずに食卓に着き、学生服のままご飯を掻き込んでいた。すると、その姿を見ていた父親が近くに寄ってきてスッと1万円を僕に差し出した。

父親は僕に対して、お金に関する点では非常に厳しかった。それは小さい頃からずっとそうで、特に決まったお小遣いをもらうこともなく、友達と公園で遊ぶ際にジュース代をたまにくれる程度。

それぐらいでは厳しいとは言わない、という声も聞こえそうだが、小学校の高学年や中学生ともなると周囲には毎月お小遣いをもらっている友人が当たり前のようにおり、ウチは厳しい…という思いを抱くのは無理もないだろう。

とにかく、欲しいおもちゃやゲームなどは、クリスマスか誕生日…といった特別な日にしか手に入れることができなかった。

中学校に入り、ゲームセンターやカラオケ、ボーリング……と友達から誘われる遊び。当然のことながら、それらにはお金がかかる。

それでも、辻家で唯一の貧乏な僕はお金がないという理由で断る日々。中学時代に付き合っていた彼女とも、お金がないからと公園や家の前で喋ったりすることぐらいしかやることがなく、初めて一緒に撮ったプリクラも彼女のお小遣いで払ってもらったぐらいだ。

せめて、自由に使うことができる月一のお小遣いぐらいは欲しい。幾度となくゴネてみたが、両親ともに首を縦に振ることはなかった。

そんなケチな辻家のドンが、誕生日もクリスマスも絡んでいないこの時期(5月ぐらいだった)に、唐突に1万円を渡してきたのである。こんなサプライズは受けたことがない。

「ナニコレ?」
声が上ずりながらそう尋ねた。すると父親は

「勘違いするなよ、小遣いじゃないぞ‼」
語気を強めながらそう言った。さらに父親は続けた。

「朝練のあとも練習後も腹は減るだろう? 食は強い体を作るための基本だから、そういう時に使いなさい。なくなったらまた渡す」

小遣いじゃないぞ――つまり、出来たばかり彼女とデートやなんやかんやで遊ぶためのお金ではないぞ……と先回りで釘を刺されてしまい、話を聞いた瞬間は落胆した。しかし、よくよく考えてみると、このお金はとてもありがたいものだった。

というのも、こちとら育ち盛りの高校1年生で、しかもハードな練習に明け暮れる野球部員である。

毎日のように始発で朝練に向かう。母親の負担を少なくする意味もあって、朝食は家では食べず、前日から用意してあるパンなどを持参して朝練へ。朝練終了後にそのパンを頬張り、授業を受ける。

昼休みになると、弁当を持参している生徒は弁当を食べ、そうでないものは購買や学校近くの弁当屋で食料を買う。前述の通り、早朝に家を出るという理由で僕は弁当ナシ組である。代わりに毎日、昼食代として600円を母親からもらっていた。そのお金は当然、昼の弁当代で消える。

そして、残りの授業を受け、放課後は野球部の全体練習をこなす。さらにその後の個人練習に臨む頃には、昼に食べた弁当のカロリーなどとっくに使いきっているのだ。その空腹感が練習への気力を削ぐことだって珍しくない(余談だが、あまりにも飢餓感が強い時には、友人が買ったパンを一口もらうなどして飢えをしのいでいた)。

この1万円があれば、朝練後もパン1つで我慢せずに済むし、授業の合間、全体練習後、ひいては個人練習後から帰宅する前まで、極度の空腹に陥ることはなくなる。練習にも熱が入るというものだ。

なお、今では当たり前となっている認識――スポーツを志す人間が、よりレベルの高いスポーツに適した肉体を作るうえでの食事の重要性――を、当時の僕は持っていない。

しかし、プロスポーツ選手である父親には(理論的でないにしろ)その認識が経験則としてあったのだと思う。だからこそ、少しの小遣いも与えなかった息子に、1万円(しかもなくなったら無制限で追加)を渡したのだろう。

こうして「食事代としての1万円・無限ループ制度」が発足されたのだが、その継続には条件があった。それは

①母親の作ったご飯は残さず食べること
②1万円を使いきった際にレシートを提出すること
③レシートがない買い物(学校の購買部)は金額をノートに記載すること
きっちりした性格の父親らしい条件が並んだ。

結局、この制度は高校3年で野球部を引退するまで継続することができた。

誤魔化しや嘘は一切しなかった。今から考えれば、不正する余地はある(特に③に隙がある)のだが、不正がバレて制度が崩壊することの恐怖の方が大きかった。そして、それ以上に、馬鹿正直にやりきること自体が、きっちりとした父親の性格を受け継いでいる――そんな自負があったのだと思う。

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