「キィーーーーーーン!!」
手応え抜群の打球は左中間の青空に向かって飛んで行った。僕は全力疾走をやめた。ベンチが大いに盛り上がる。ボールの着弾はネットの遥か向こう。
人生初のホームランだった。
僕はダイヤモンドを1周する間、地獄の冬練習を思い出していた。
思い出すだけでゲロを吐きそうになるくらいの辛い地獄の冬練習。我がチームのそれは、秋の大会で早々に負けたことによって冬の訪れより早く始まった。冬練習が地獄であることは以前から先輩たちに何度も聞かされていた。1年生の僕としては先輩からいくら地獄具合を聞かされようと、「多少盛ってビビらせに来ている」…と、余裕をこいていた。
しかし現実は、地獄なんて生ぬるい――そう思った。
来る日も来る日も走りと筋トレのローテーション。10kmのランニングを毎日のノルマと課せられ、加えて中距離・短距離を何十本と繰り返す。筋トレも器具を使った派手なモノではなく、腕立て・腹筋・背筋と寒空の下で行った。
たまにボールを使わせてもらえることもあったが、塁間(ベースとベースの間)ぐらいのキャッチボールとすぐ近くのネットに向かって打つだけのティーバッティングのみ。練習は好きなタイプだったが、あくまでソレは「野球の練習」が好きなのである。こんな陸上部のような練習は心底つまらなく、毎日のように野球部を辞めたいという考えが頭をよぎった。とにもかくにもグランドに行くことが嫌だった。
そんな地獄が3ヶ月以上続き、迎えた2月中旬の土曜日。練習前に監督から賜るクソほどつまらないお言葉…の最後に、やっと待望の一言が飛び出た。
「今日から野球をやらしてやる」
普段ならば、監督が話している途中に騒ぐのはご法度だ。そんなことをすれば容赦なく鉄拳が飛んでくる。しかし、そんなことはお構いなしとばかりに2年生の先輩たちが盛り上がった。監督も珍しく笑っていた。
先輩たちが歓声を上げた理由は、先ほどの監督の言葉がつまり、辛い冬の練習の終わりを告げるサインだからだった。それを聞いた1年生も時間差で盛り上がった。
――長かった。成果があるのかないのかわからないようなトレーニングがようやく終わる。涙が出るほど嬉しかった。
塁間までしか投げさせてもらえなかったキャッチボールも遠投まで、ティーバッティングのみだったバッティング練習もマシン打撃をやれると聞き、僕は自分が野球部だったことを思い出した。
冬の練習を思い出しながら回ったダイヤモンド1周はあっという間だった。人生初のホームラン…ではあったが、打てたこと自体には驚きはなかった。というのも、冬の練習が終わって迎えた練習初日、既にホームランを打てるという感覚が僕にはあったのだ。
久々の遠投は秋までとは比べられないほど遠くまで投げられた。バッティングも今までと比べて明らかにバットを振るスピードが速くなっていた。打球も今までと質が違っていた。野球の技術云々は別物だが、あの陸上部のような練習は確実に実になっていた。全てにおいて目に見える形でパワーアップしている――それは、野球というスポーツがこれまで以上に楽しく思えた瞬間だった。
試合後、監督室に呼ばれた僕はこっぴどく叱られた。打った瞬間にホームランだとわかったとはいえ、審判にホームランとジャッジされる前に全力疾走を怠ったからだ。ただ、叱責する監督の表情はいつものような鬼の形相ではなく、どこか優し気に、そして嬉しそうに見えた。やっぱり僕はこの監督が好きだ。
その夜、僕は父親に興奮気味にホームランの報告をした。すると父親は
「どっち?」
と素っ気なく聞いてきた。僕は左中間と答えた。すると、
「なんだよ。右じゃないのか…。上でやりたいなら逆方向に打てるようにならないとな」
監督とは違い、表情・口調ともに嬉しさや喜びといったようなモノは一切読み取れなかった。息子としては少しでいいから誉めてほしいという気持ちがあり、若干イラっとはしたが、この一言が僕を埼玉の高校球児の中で多少なりとも注目される選手に成長させるきっかけとなるのだった。
【辻家の人々~野球選手の息子はいかにしてスロライターになったか~】 伝説のプロ野球選手・辻発彦の息子がどんな幼少期を過ごしたのか、どんな経験を経てパチスロ必勝本ライター・辻ヤスシとなったのかを描いていくノンフィクション小説。有名人の息子ならではの苦悩や心境は、野球ファンでなくとも面白く読めると思う。