辻家の人々

【連載小説「辻家の人々」】031 高校野球の恐怖

夏の大会まであと1ヶ月半――その時点から練習は背番号を貰える可能性のある選手のみに絞られた。それはつまり、これまでとは比べ物にならないほどの練習量となることを示していた。少数が集中的な練習を行う、文字通り「猛特訓」である。

そして、その地獄のような練習が1ヶ月間続き、大会半月前になると調整期間に入る。調整期間中は練習量が激減し、平日は19時には練習終了、土・日は半日で終わる。

高校に入って毎日のように始発で学校に行き、終電で帰るような生活を送っていたため、この調整期間はまさに天国。

もちろん、練習をできない不安もあったが監督やコーチにも怪我のリスクや疲労を残さないようにと厳しく言われていたため、野球を趣味程度に嗜むような軽い練習をして毎日のんびり過ごした。

また、家に帰ってもやることと言えば軽く素振りをするぐらいしかないため、学校帰りに彼女とご飯を食べたり、友達と家でゲームをして少し遅めに帰ることが増えた。この時の僕は、後にこれらの行動を反省することになるとは思っていなかった。

夏の大会初戦。相手チームは毎年1~2回戦で姿を消してしまう、言い方は悪いが弱小高校だった。シードの我が校とは違い、彼らは1回戦を勝利して駒を進めてきたチームではある。しかも彼らが降した相手も弱小高校だった。つまり、これと言って警戒する必要がない。

ーーー試合前。

ベンチ裏で練習試合の際と同じようにミーティングとスタメンの発表があった。ミーティングの時の監督・コーチの声の大きさ、スタメン発表の時に名前を呼ばれた選手の返事の声の大きさ、闘志が全面に出るようなオーラのようなものが見えた気がした。

もちろん、普段の練習試合も皆必死で戦うのだが、やはり「負けたら終わり」という一戦を前にするとまた違った気持ちになる。その姿を見てこれが高校野球の夏かと鳥肌が立った。

試合が始まると更にその熱は増した。全員が全員ベンチの最前列に立って声を張り上げ、僕も負けじと大声を出したが到底及ばなかった。声の大きさではない。声の質が明らかに違う。この1試合にかける思いが声に表れていた。

試合は初回に大量得点を取って試合の主導権を握ることができた。元々、10回やれば10回勝つほど実力差があるのだ。加えてこの点差…僕は早々に勝ちを確信した。それでも、驚くことにベンチの中は変わることなく、誰一人として気を抜いている選手はいなかった。

終わってみれば大差の5回コールド勝ち。ゲームセットの瞬間、この日初めてメンバーの笑顔を見た。そして、試合直後の挨拶。相手チームとホームベースを挟んで握手した際、僕は灼熱の太陽の下で冷や汗と震えが止まらなかった。理由は高校野球の怖さ…からだった。

正直に言う。僕の現状の位置はサードの3番手。バッティングも並、守備も並、足は遅い。この夏の大会で僕が試合に出ることはほぼないと思っていた。

だが、それは100%ではない。サードのレギュラーだったキャプテンは怪我明けだし、控えのサードの選手が途中から出るかもしれない。もしその選手が試合中に怪我をしてしまったら代わりは僕しかいない。

そのタイミングでエラーをして負けたら…打てなくて負けたら…。高校生活を全て捧げて頑張ってきた3年生の高校野球が僕のせいで終わる。

調整期間で気を抜き、試合途中でも勝ったと安心してしまう。僕が逆の立場――上級生の立場だったらどうだろうか。絶対にそんなヤツのことを許すことはできないと思う。

僕は背番号を貰ったことの重大さをわかっていたようでわかっていなかった。高校野球は怖い。そう感じた。

そして、調整が天国だとふわふわと過ごしていたことを大いに反省し、その日以降練習後はまっすぐ家に帰り、監督コーチの指示を無視して全力でバットを振り続けた。

【辻家の人々~野球選手の息子はいかにしてスロライターになったか~】
伝説のプロ野球選手・辻発彦の息子がどんな幼少期を過ごしたのか、どんな経験を経てパチスロ必勝本ライター・辻ヤスシとなったのかを描いていくノンフィクション小説。有名人の息子ならではの苦悩や心境は、野球ファンでなくとも面白く読めると思う。

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