コラム

パチンコ漫画のウラ側

30年を振り返るマンガを9月14日発売のパチンカーZ用に描いている最中に、思い出の品々やアルバムがごっそり出て来て、“日本中のホールをこんなに旅歩いた人間も他にいないだろうなぁ”と自分でもビックリしています。

ヘタな旅番組のレギュラーを何年もやってたドンキホーテです。
街ぶらロケに近くて、名所旧跡にほとんど行っていません。観光しているヒマがあったらパチンコを打ってた方が100倍楽しいという価値観を持ってる人間です。
各出版社の方々も一緒に素晴らしいスタッフにも恵まれていたドンキホーテです。

もちろんほとんどの旅打ちはボクたち夫婦2人だけの旅も多かったのですが、先週はパチンコバクレツ娘を描いていたスリーセブンを出版している竹書房の方たちと旅行したかと思ったら、今週は大連勝を出版していた日本文芸社の方たちと旅に出るという日々のくり返しでした。

その旅打ち先は、北へ南へと全国爆裂ホールランキングを作る為に、自分の目で新しいホール探しの目的があるので、巨大ホールから街角の小さなホールまでドル箱の数や接客態度に出玉ランキングのレベルなど、毎回新鮮な驚きと共に、週の中4日間だけで20ページの漫画にしてきました。

おかげで、ボクの仕事の足跡は日本中の地図から始まって全国津々浦々の駅に商店街、細かい土産物名産の品々もすべて絵にしているので、たぶんマンガ家で一番の背景画の量ではないでしょうか。
写真ではなくて、そこへ全国のホールも手描きで残しています。

エリア別、ホール別にそのホールのポップの特徴あるものからイメージキャラクターも全て網羅しています。
ボクの仕事場のロッカーの引き出しにはパチンコ関連のランプも数十、いや数百種類揃っています。
ドル箱のディスプレイも様々で、ホントに個性豊かなものばかりです。

それぞれのホールを旅した頃は何の台がヒットしていたのかが目安になります。
つまり、ほとんどのパチンコ台が手描きで、毎週新台リリースより早く描きはじめて、ホールに行って打ったら即マンガ化していた時代です。
いまのようにスマートフォンで全て記録出来るわけじゃないので、デジカメで撮った写真を全て、オール手描きで描いていたわけです。

“パチンコ漫画の主役はパチンコ台”なので、正確に描くことはもちろん、様々なリーチ演出も再現しないといけません。
この作業の大変さは、現在のCG全盛のハイレベルなものと比べて、手作り可能な画面だった30年前のパチンコです。

海物語までは手描きが可能で、全部のお魚の絵を大小作って、まるでアニメーションを作るように透明なセルロイドのペラペラしたモノに場面ごとに配置したら、うしろに魚群を貼り付ける作業です。
そしてマリンちゃんが降りてきて、指先を動かしてお魚を移動させていくコマ取り撮影というかコマ取りコピー作業は、まさに伝統工芸を作るかのようなアナログなマンガ作りで、ドンキホーテ発案のアイデアも多くて、マネする作家さんたちもさぞや大変だったのではないでしょうか。

罪作りなパチンコマンガの世界です。
すべて絵を描く前の実戦が元になるので、実戦で大金を失ったマンガ家さんも数知れずで、“パチンコ漫画は儲からない”と業界で描き手がいなくなっていったのも事実です。
まずは取材のパチンコで勝たなきゃマンガが描けなくなる呪縛に、多くのパチンコ漫画家さんを苦しめたことと思います。

そんな中で唯一、楽しく勝ってプラス1億円に到達しようかとしているマンガ家がココにいます。
ドンキホーテ谷村ひとしは30年間パチンコで勝てたからこそ生き残れたと言えるのかもしれません。

プラス1億円のウラ話は、まだまだありますよォ!

▼8月17日実戦収支
A店収支
-6500円

▼1日トータル収支
-6500円

▼2024年8月トータル収支
-13500円

▼2024年トータル収支(※8月17日現在)
+261万1000円

▼総トータル収支
1994年3月31日~2024年8月17日
+9994万5740円

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