オリ法バンザイでe範馬刃牙のポロリ4回転、4万円勝ちのマンガを描いています。
もう刃牙の作者の板垣恵介先生との付き合いも長いモノで、40年以上経っています。
ボクが日刊アルバイトニュースとフロムAという求人雑誌でアシスタントを募集していた1980年代、1回の募集で100人以上の人たちと面接をしていました。
面接した人の中には先日亡くなられたエスパー伊東さんが、まだ本名でマンガ家を目指している頃にも会っています。
他にも、うちの面接後に南国少年パプワくんで大ヒットを飛ばした柴田亜美先生も、アシスタントのテストでご一緒しました。インパクト抜群の美大生でした。
そんな面接をした人たちの中に、サラリーマンでマンガ家を目指す板垣先生がいたのです。
厳しい状況の中、家庭を持った20代後半の板垣くんを採用できるほど、連載貧乏だったドンキホーテには余力がなくて、いくつかの連載をこなすのに必死の頃です。
それでも、面接に来た時の板垣先生の描いたオリジナル作品は目を見張る出来で、即連載も可能なボクシング漫画でした。
その頃、子連れ狼の原作者の小池一夫先生の“劇画村塾”の塾生として、高橋留美子先生たちとストーリー作りの腕を磨いていた板垣先生のストーリー作りの上手さがここで培われたのは間違いありません。
ボクは劇画村塾の発行していたコミック誌に“海象”というヘビー級の格闘家のマンガを連載していたのですが、
板垣先生は“メイキャッパー”という美容と整体とヒーリングを使いこなす魔術師のような美容師のマンガを連載していました。
そのうちにボクのアシスタントだった高橋ヒロシ先生が月刊チャンピオンで“クローズ”の連載を成功させます。
1992年の4月7日に谷村プロに集まった記念写真に高橋ヒロシ先生と板垣恵介先生が肩を並べています。いまでも仕事場の壁に貼っています。
スロット漫画で一世を風靡した“早ちん”こと早坂よしゆき先生もボクのアシスタントから大出世した一人で、一緒に写っています。
1994年の3月11日には、当時作家の夢枕獏先生と板垣恵介先生と通訳で映画の字幕スーパーを多くやられていた稲田嵯裕里さんたちと、アメリカのコロラド州デンバーで開催された第2回UFCアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップに、日本人選手の応援に行ったのもいい思い出です。
グレイシー柔術のセミナーに参加して、デンバーのホテルでヒクソン・グレイシーVS板垣恵介先生の夢の対決を見られたかもしれません。
この日を境に、世界でブームを起こしたグレイシー柔術です。
日本に帰国して、週刊漫画ゴラクの連載“闘龍伝”にグレイシー柔術を取り入れたのもなつかしい思い出です。
板垣先生の週刊少年チャンピオン“グラップラー刃牙”は超のつく大ヒットです。いまや世界中に誇れる格闘技マンガです。
まだまだパワー全開で、いまでも板垣先生が連載を続けています。
そんな範馬刃牙がパチンコ&スロットの世界でもさらにパワーアップしています。
時速5万発、いや6万発のハイスピード出玉でホールで暴れています。
アニメもグレードUPして、刃牙の世界はパチンコの世界でもひと波乱起こしそうな気配です。
1981年に週刊漫画TIMESに連載していたボクの作品“復讐の兇獣”の大ファンの板垣先生との格闘技やボクシングの話が尽きることはありません。
“空手バカ一代”の影丸穣也先生のアシスタントを9年も続けていたドンキホーテ谷村ひとしがパチンコマンガ家になるなんて、あの時ロサンゼルスから国内線でデンバーまで飛んだ頃にはこれっぽっちも予想出来なかったのですから、ずっとボクを見て来た板垣先生もビックリしたことでしょう。
人の運命って見えない糸で神様が操っているんだといまでも思っているドンキホーテなのです。
範馬刃牙でオスイチ出来たのも神様、いや板垣先生のいたずらだったのかもしれません。
▼6月4日実戦収支
A店収支
-1500円
B店収支
-1500円
▼1日トータル収支
-3000円
▼2025年6月トータル収支
+1万500円
▼2025年トータル収支(※6月4日現在)
+145万200円
▼総トータル収支
1994年3月31日~2025年6月4日
+1億298万2240円