コラム

18歳で上京したドンキホーテ

九州に帰ってきました。もちろん新幹線です。
飛行機は大嫌いなドンキホーテはパチンコミステリーツアーの北海道旅行と海外以外、国内はすべて列車移動です。
東京から小倉まで5時間弱、ずいぶん新幹線も速くなりました。九州まで乗り入れです。
ボクが高校を卒業した昭和47年の卒業アルバムに東海道新幹線開通の記念式典の様子が載っていて、博多まで新幹線、“光は西へ”は卒業後の昭和50年1975年だったと記憶しています。卒業して3年後の事でした。
沖縄の本土復帰が1972年の一大イベントだった頃でした。

ダンボールに毛布とマンガを描く道具だけ詰め込んで、当時夜行列車あさかぜで上京したマンガ家人生1年生のドンキホーテ誕生です。
3月31日の寝台列車で東京に4月1日到着です。この4月1日に上京する前に、3月の頭に東京でのバイト先を知り合いの中華料理店の方の紹介で、銀座アスターの皿洗いのバイトと、東京中野の野方商店街の片隅に3畳の三角形で家賃3千5百円のアパートを決めて、上京の準備が整った帰りに、当時週刊少年マガジンで“ワル”を連載していた影丸穣也先生に会いたくて、マガジンの連載マンガの柱(マンガの右隅のスペース)に先生の現住所が載っていたので、ファン心理で東京国分寺まで寄り道をしたのです。

先生の仕事場の駅前のマンションに恐る恐る訪ねると、快く影丸先生が対応して下さって、高校生時代に描いたドンキホーテの処女作を見て“うちのアシスタントにならないか?”と言われて“二つ返事”でアシスタントになると決めて、バイト先も野方のアパートもキャンセルして改めて4月1日に上京したのです。

大学受験も一切せず、マンガ家になりたくてとりあえず上京しようと準備に行って、たまたま一番大好きな影丸穣也先生のアシスタントに1日にしてなると決まった奇跡の瞬間です。
右も左もわからない身長145センチのドンキホーテの漫画家アシスタントがこうして始まりました。

影丸先生の大親友がドカベンを描いていた水島新司先生で、大阪単行本時代からのお二人が週刊少年マガジンや週刊少年サンデーや週刊少年チャンピオン、週刊少年キングで一緒に連載されていた時代です。
影丸先生は“ワル”のあとに“空手バカ一代”を5年連載されてて、連載が終わったら独立すると決めて27歳の遅咲きのマンガ家プロデビューです。

9年間もアシスタントをやってたドンキホーテが、パチンコと出会う40歳までの13年間、少年誌青年誌を谷村ひとしと筒美廣平のペンネームの二刀流で、アシスタントをアルバイトニュースやフロムAで募集して、面接したメンバーに刃牙を描く前の板垣恵介先生や、アシスタント見習いにパプワくんの柴田亜美先生や、正式のアシスタントとして4年間手伝ってくれたクローズの高橋ヒロシ先生と出会えたことが財産になったドンキホーテです。

あれから52年、70歳になって1月3日の新幹線に乗って時代の変化をひしひしと感じます。

ワゴンサービスが失くなってコーヒーはホームの自動販売機で買ったり、大阪から西はワゴンサービスがあったり、スピードも2時間は縮んだ新幹線です。

変わらないのは、九州小倉駅の7番ホームのかしわうどんの立ち喰いうどんです。
必ずこのかしわうどんを食べて九州旅打ちスタートするルーティーンです。

2024年のお正月、九州のホールは果たしてどうなっているのか?
9月に来た時はS.A.Oと炎炎ノ消防隊の全盛期でした。もちろんエヴァンゲリオン未来への咆哮とRe:ゼロから始める異世界生活は二本柱です。
シン・エヴァンゲリオンやRe:ゼロ2は果たしてどんな状況か、これから日々レポートしますのでお楽しみ下さい。

激動の2024年のパチンコ&パチスロ業界のこの先を占うには、九州が一番先取りなのは言うまでもありません。

P.S. 今日は実戦なしです。

▼2024年1月トータル収支
+1500円

▼2024年トータル収支(※1月3日現在)
+1500円

▼総トータル収支
1994年3月31日~2024年1月3日
+9733万6240円

-コラム
-