コラム

当日限り両替を忘れた1枚のレシート

プラス1億円を振り返る30年のパチンコ人生の思い出をひとつひとつ振り返っているドンキホーテの引き出しに、1枚の出玉レシートがあります。

残高の刻まれたカードや地方で旅打ちして資料用に作った会員カードも数知れずです。
皆さんはホールの会員カードは少なくても1枚か2枚はお持ちでしょうが、ボクみたいに全国各地でパチンコを打って来た人間は、会員カードもバカになりません。
ひょっとすると残り玉だけでも結構な玉数で、かなりの金額になっている可能性もありますが、つくづく勿体ないと思っちゃうのは、両替し忘れた出玉レシートです。

交換しなかったらただの紙キレになっちゃってるのですから、本当に勿体ない。
これは資料用ではなく完全に当時ポケットにしまったまま忘れて、閉店後ファミリーレストランでパチンコ仲間と雑談している時に気が付いて青ざめた1枚のレシートです。夜の連チャンに浮かれて大勝ちした日のモノです。

日付は1997年6月21日の午後3時49分にジェッタ―で初代大工の源さんの単発出玉を流して、店員さんに手渡されてポケットにそのまま入れてたモノです。
当時のパチンコは2.5円交換とレートが低いだけでなく、一回交換の“ラッキーナンバー制”だったことを思い出します。

いまでこそオール無制限ですが、当時はイチイチ単発をドル箱を抱えてジェッタ―で流すシステムでした。
“ラッキーナンバー制”という言葉に反応したあなたは、キャリア10年、いや20年以上のベテランパチンカーでいらっしゃいます。
地方や関西エリアでは、かなり最近までラッキーナンバー制のホールも残っていたものです。

海物語が全国に200万台設置された頃は、まだまだ6図柄のアンコウや2図柄のフグともハリセンボンとも呼ばれたカス図柄は、わざわざドル箱をジェッタ―で流しているホールも珍しくありませんでした。
いつからかオール無制限というルールが全国に広まったのは言うまでもありません。

関西以西では“ノーパンク”と呼ばれていて、ノーパン喫茶が流行したのをご記憶の方は、ちょっとエッチな響きだったノーパンクです。
ボクのマンガでも長く刑務所に入っていた人物が久しぶりにパチンコを打って、“ノーパンク”に反応するネタがありました。

関西では、終了がパンクと言われていて、それが無くなって“ノーパンク”なわけです。
終日ドル箱を流さないで1日パチンコが楽しめるシステムは定着していったのです。
ラッキーナンバー制の中でのノーパンクこと、終日無制限の価値の高さは、そのまま収支に跳ね返ってきます。

現金投資を極力抑えた両替がプラスに大きく貢献してくれます。
そんな時代、1997年の6月21日のレシートが2024年のここにあることの重大さに改めて気づきました。
当時2.5円なので、大工の源さん1回2467発は6167円です。6千円分がここに27年間眠っていたことになります。

ただの紙キレですが、6千円もあればプラス1億円も少しだけ早く到達出来るかもしれません。
いま、このホールは新しいビルに変わって現存しません。ボクがパチンコ漫画家になれたのも、このホールのグランドOPENから半年経った1994年3月31日の初代CR花満開をこのホールで打った時から始まったのです。
生まれたばかりのホールは、ボクのようにここでパチンコを覚えたパチンコ1年生のお客さんたちで、連日まるで学校のクラブ活動か大学のサークルの仲間のように、本名も仕事も知らない同志が早朝からホールの前に並んで、きのうの出てた台の話や、ハマって今日出るんじゃないかとワイワイガヤガヤ話してる朝の行列の時は、誰も今日負けることなんて考えていない幸せなひとときです。

あの開店前のワクワクドキドキがあったからこそ、70歳のいままでパチンコを飽きずに打ち続けているドンキホーテなのです。

P.S. パチンカーの原稿を描いて今日は実戦なしです。

▼2024年8月トータル収支
-7000円

▼2024年トータル収支(※8月16日現在)
+261万7500円

▼総トータル収支
1994年3月31日~2024年8月16日
+9995万2240円

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