コラム

パチンコドンキホーテ物語

9月14日発売のパチンカーZの“ドンキホーテが行く!”の原稿を描いています。

前回の予告どおり、プラス1億円達成のマンガを描いています。
あの30年前に、初代CR花満開で勝って以来、こんな日が来るとは誰が想像したでしょう。
だいたい、“パチンコで1億勝った!”って言ったら“ウソ”の一言で片づけられちゃって当然です。ボクだって信じないでしょう。
ましてや、負けるのが当たり前だと思っているのにホールへ行っちゃってる方たちから考えれば、“大ボラ吹きの戯言”と笑われても仕方がないと思っています。

2000年のスカパー!の当時BIGチャンネル(現在のパチンコパチスロTV)の番組、“出玉爆裂日本一パーラードンキホーテ”のメインMCだった、当時猿岩石の有吉弘行さんに“パチンコバカ”とあだ名を付けられてから24年、そのパチンコバカが、バカ勝ちしてしまいました。
コツコツ30年と5ヶ月と22日かけてプラス1億円です。
納税もしてるってところがポイントで、義援金など寄附にもお金を還元してきた30年です。

パチンコという世間一般ではギャンブルの諸悪の根源扱いされても仕方がないイメージが強いのに、こんなに多くの人に知られ、愛され続けてきた娯楽も逆に少ないと言えます。
戦前のガチャンコという夜祭のお店のゲームがルーツなら、ゆうに100年近い歴史になります。
何度となく消えかけるような逆風にも耐えて現在があります。

昭和30年代の高度経済成長期の時代のサラリーマンや労働者の身近なギャンブルとして支えてきたパチンコです。
雀球やアレンジボールなど、いくつかの遊技もブームになりましたが、インベーダーゲーム同様、出ては消えていきました。
しかしTVゲームは隆盛を極め、全世界スケールで進化して、パチンコの最大のライバルとなりました。
インベーダーゲームに滅ぼされそうになったパチンコは、フィーバー機の出現でギャンブルとして生き残りました。

この辺りのパチンコ100年史も皆さんに知っておいて欲しいところです。

昭和28年に九州の長屋で産声をあげたドンキホーテが、まさか40歳でパチンコマンガ家に変身するなんて、周辺のマンガ編集者もビックリです。
だって天下の手塚賞や少年マガジン新人賞の、ほんの片隅に佳作や選外佳作レベルで引っかかって、週刊少年ジャンプでデビューしたのが27歳という遅いデビューです。
出版バブルの真っ只中、1980年代にデビュー出来たのも幸運なドンキホーテです。

“リアルな絵が上手い”と勘違いしていた超ハード劇画家が、ラブコメでジャンプデビューして、筒美廣平のペンネームで週刊漫画TIMESで“復讐の兇獣”を描かせてもらって、

ハード劇画家の道を守って下さった青年誌の編集者の方も、本来陽気な性格のボクを見抜いて、明るいマンガを描くように導いてくれた週刊少年ジャンプの鳥嶋記者との出会いや、週刊モーニングの編集さんとの出会いが、いまとなっては全てパチンコマンガ家、ドンキホーテ谷村ひとしのいまを作って下さったと感じています。

経済誌や10社以上の出版社にお世話になって、パチンコブームに乗って麻雀マンガの竹書房でバクレツ娘を描いたり、週刊漫画アクションでアクション劇画を描いていたのに、パチンココロシアムを創刊して下さったり、関わった出版社の方々にはいくらお礼を言っても言い尽くせない恩義があります。

いま、ガイドワークスのパチンカーZと、辰巳出版のパチンコ必勝本プラスオリ法でプラス1億円突破の瞬間をマンガ化するのも運命だったのかもしれません。

北九州の街に生まれ育ち、友人や恩師たちに恵まれた青春時代を振り返ると、いま2024年に70歳でパチンコを打ってる自分もそういう運命の元に生まれて来たのかと思う今日この頃です。

P.S. 今日も実戦なしです。

▼2024年8月トータル収支
+7万2800円

▼2024年トータル収支(※8月27日現在)
+268万7300円

▼総トータル収支
1994年3月31日~2024年8月27日
+1億3万2040円

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