気が付けば2024年9月13日で71歳になりました。
こんなじいさんに自分がなってるとは、九州の八幡製鉄所の工場の街に産まれて、まさかまさかのマンガ家人生です。
子供の頃は病弱で、おふくろが町医者に駆け込んでばかりの日々だったと聞いています。
路面電車の運転手をやっていた親父は、酒豪でいつも酔っぱらって夜中に帰ってくるイメージしかなかった子供の頃ですが、友人も多く、仲間に頼られる陽気な父親でした。
後輩の結婚の世話で週末にお見合いをうちの茶の間でやっていたのを思い出します。
洋服の仕立て屋から高度経済成長時代に電車の運転手になって、おもちゃの切符切りで遊んでる友だちに重たい本物の切符切りを持っているのが自慢の子供でした。
冬はしもやけで手をパンパンに膨らまして病院通いをするほどで、包帯を巻いた手で学芸会の“ぶんぶくちゃがま”の寺の小坊主をやったのが、ボクの演劇体験の始まりでした。
級長をやったり、児童会の会長をやったりと、人前に出ることに抵抗がなく、TVのクレイジーキャッツのしゃぼん玉ホリデーのギャグを率先して学校でマネして笑いを取るのがドンキホーテの始まりです。
赤塚不二夫先生や、手塚治虫先生のマンガをマネして友だちのノートにイラストを描いてあげたりしていました。
小学校の頃は、東京で言う“メンコ”、北九州では“ぱっちん”と呼んでたカードの取り合いや、東京の“ビー玉”、北九州では“らんちん”と呼ぶ遊びに夢中になって、半ズボンのポケットにいっぱいのビー玉を入れて、重さでズボンがズリ落ちてパンツ丸出しになって勝ちまくっていました。
ビー玉の狙いすぎで視力が落ちたり、右腕の脇のリンパ腺が腫れちゃったりと、常に度を越したのめり込み少年でした。
さしずめ、いまのパチンコ台なら“パチンコはのめり込みに注意しましょう”と注意書きで警告を受けていたでしょう。
トコトンのめり込むのは勉強も同じで、クラスメイトへのテストも問題を作ってやるような級長でした。
全く運動神経はゼロで、“かけっこ”も遅すぎていつもビリです。球技も全くダメな子供でした。
身長も学年で1位か2位を争うチビッ子で、運動会当日まで紅組か白組かわからないのです。
最後の人数合わせで白組になったり紅組になるか、ハラハラドキドキです。
でもいつしか、ハラハラすることも失くなっていました。
東京に来てマンガ家のアシスタントになった18歳で一気に身長が148センチから165センチに伸びたのには、ボクより九州の友人のほうがビックリしたものです。
髪の毛を長く伸ばして九州に帰った1973年、“タニ!人間ちゃ大きくなるもんやのぉ”と、いきなりデカく、というか人並みになったドンキホーテに口あんぐりした顔が忘れられません。
当時は学生街の喫茶店を歌っていたガロを気取って、サングラスをかけてハイヒールを履いていた滑稽な東京帰りのマンガ家の卵でした。
20代のほとんどを空手バカ一代の影丸穣也先生の元で、マンガのイロハを叩きこまれたおかげで、70歳のいまでもマンガが描けています。
まさか40歳でパチンコと出会うなんて誰が想像したでしょう。世の中にこんなに人を夢中にさせるモノがあるなんて信じられない側の人間でした。
いまだに釘がどうのこうのとか、むつかしいことはサッパリわかりませんが、1億円も勝てちゃったことも信じられません。
“ぜいたく”には縁のない人生ですが、心はいつもパチンコや映画やドラマのことでウキウキワクワクしている71歳です。
P.S. 今日9月13日、ABEMAの“パーラーカチ盛り”のクイズにドンキホーテ登場です。
P.S.のP.S. 今日は実戦なしです。
▼2024年9月トータル収支
+13万2500円
▼2024年トータル収支(※9月12日現在)
+282万7800円
▼総トータル収支
1994年3月31日~2024年9月12日
+1億17万6540円