コラム

20年前の読売新聞のドンキホーテ

9月1日からスタートする“ドンキホーテnote”のQRコードが届いて、いよいよ“ドンキホーテが行く!”の第1回目から無料配信が始まります。

ネット上でしか“谷村ひとし”“ドンキホーテ”だけだと誤情報も多いので、“パチンコドンキホーテ”を知らない方々に20~30年前のバブルの頃の思い出話にと、昔の資料を引っ張り出していたら、

2004年11月18日(木曜日)の読売新聞の見開きでボクがパチンコについてコメントをしていました。
当時ボクは51歳です。

大手の新聞だけでなく、写真週刊誌でギャンブル特集をしていて、有吉弘行さんや蛭子能収さんの名前も見られます。

世はまさに遅れてきたバブルで、パチンコバブルの真っ最中です。このドンキホーテが週刊女性誌にも連載をしていたのも2004年です。

2004年は韓流ブームで、韓流スターの記事で溢れていました。
パチンコも海帝国で、日本中に海物語がどのホールにも100台以上設置されていた時代です。
いまホールに100台以上設置される同一機種ってなかなかありません。
エヴァだって多くて20~30台、ひとシマ入るくらいですから、当時の海人口の多さはケタ外れだったわけです。

パチンコ漫画を描く前のドンキホーテは一体何を描いていたのか知らない世代も多いことと思います。
1979年、週刊少年ジャンプデビュー。

出版バブルと言われた1990年代、ドンキホーテはまだ誕生していません。

谷村ひとしの名前であちこちに連載していました。
筒美廣平のペンネームで1979年、週刊漫画TIMES連載の“復讐の兇獣”でデビューして、その後近代麻雀でランブルフィッシュを描いたり、大相撲ブームには相撲漫画まで描いていました。

少年誌で“ハードBOYルド”や“横須賀OP”を少年KINGで描いていた頃は、週刊漫画アクションでいろいろ描かせてもらっています。

この頃、故狩撫麻礼先生と出会ったり、かわぐちかいじ先生と出会えたのは人生の宝になっています。
“節操がない!”と言われたら元も子もないのですが、興味のあるモノは手あたり次第に顔をツっ込む野次馬根性で、スポーツ漫画以外はあらゆるジャンルの漫画に手を付けています。
現代劇も時代劇もSFも何でもありです。

40歳でパチンコに目覚めて32年、パチンコが一番飽きずにハマっていると言えます。
過去の作品を読み返すと、自分でも“よくこんなの描けたなぁ”とビックリするモノも多く、自由に描けた時代の頼もしさすら感じています。

元々、昭和47年、1972年にダンボール一箱抱いて九州から夜汽車に乗って上京したわけですから、人の人生って本当にわからないモノです。

いまやネットが世界を支配する時代になって、紙の時代が終わろうとしています。
ドンキホーテのパチンコ漫画も、この“谷村ひとしの毎日コラム”で配信されるようになって、実戦からのタイムラグが一気に縮まりました。

実戦漫画だけまとめたいくらいで、9月1日から“ドンキホーテnote”で更に縮まります。

漫画化のスピードもアップして、リアルタイム実戦も可能なネット配信の世界です。
またひとつ世界が広がるドンキホーテマガジンnoteをお楽しみに。

この秋から年末に向けて、牙狼なんて可愛いほうだったと言える化け物のようなパチンコ台の登場に合わせて、ドンキホーテマガジンnoteのスタートです。

30年前のパチンコドンキホーテと変わらない72歳のドンキホーテ谷村のパチンコLOVEを知っていただけるツールとしてスタートです。
きっと週刊誌もネットニュースもパチンコを放っておけない状態が始まります。

P.S. 今日も実戦なしです。

▼2025年8月トータル収支
+24万7000円

▼2025年トータル収支(※8月25日現在)
+240万700円

▼総トータル収支
1994年3月31日~2025年8月25日
+1億393万2740円

-コラム
-