九州の旅打ちでは甥っ子のシンちゃんが大学生の頃から恒例のドンキホーテのパチンコ人生の定番メニューですが、早いモノで大学生だったシンちゃんも3人のパパになり、子供のクラブの送り迎えから遠征試合に付き添ったりと、とてもパチンコどころではありません。
シンちゃんパパや親族と昼間に食事会をして、東京でYouTuberで成功しているシンちゃんの妹や、女子大生になったシンちゃんの長女は楽しいキャンパスライフを送っているようです。
急成長のスピードもラッキートリガーで月日が流れて、ボクが40歳から始めたパチンコで全国を飛び回ってる間にみんな、あっという間に成長しています。
シンちゃんもいまのパチンコはよくわかっていません。こりゃあ子供たちの手が離れる頃には、浦島太郎状態のことでしょう。
いまはマイホームパパ一直線です。キムタクファンの奥様に“TOKYOタクシー良いよ!”とオススメしておきました。
ボクの妹は元小学校の校長だったご主人と2人で北海道旅行へ行ったり、ボクのススメた“国宝”を観て、いたく感動していました。
夜は小倉のホテルで高校時代の演劇部OBたち12人と食事会です。
あの温泉名湯めぐりやハウステンボス、ディズニーランドやディズニーシー、UFJとテーマパークを60代のみんなと廻った思い出は、高校時代のあの演劇部の部活の延長線上のように、珍道中の数々はいい思い出ばかりです。
阿蘇山のゲリラ豪雨で全身ドロまみれになって、旅館の仲居さんたちのホースの水の集中放水で、まるで“ロイヤルファミリー”の競走馬のように洗い流されたメンバーたちです。
全身ビショ濡れのおじいさんとおばあさんの集団はゾンビ状態でした。
“まだ生きてるぞぉ!”と、“ショーシャンクの空に”のティム・ロビンスのように叫んだかどうかはわかりません。
72歳のボクら世代にひとつ下のパチンコの恩人の高吉も、ボクのパチンコ漫画に欠かせないキャラクターです。
デカい声で同じギャグを延々とくり返すのも高校時代から全く変わっていません。彼にパチンコで勝てるイメージを植え付けられた事が一番大きいと言えます。
2つ下のレントゲン技師の林も、孫の一流大学合格を喜ぶおじいちゃんになりました。
パチンコの話になると高校の生徒会長だったメンバーの一人が学ランのツメ襟を折り込んで、“スーツだ!”と豪語したかどうかわかりませんが、学生服で高校生がパチンコホールに入っていた前科も毎回出してきます。
はるか昔、昭和40年代の九州の小さな商店街での事件です。おおらかな1970年の日本です。ボクらの周辺だけだったのでしょうか?
この辺のエピソードは“ドンキホーテマガジンnote”で、無料で“オカルト大作戦”や“パチンコLOVE”や“ドンキホーテが行く!”を毎日配信しています。

“ドンキホーテとゆかいな仲間たち”のエピソードは映画化してもいいくらい話が豊富です。プライベートも全部マンガにしているイメージとはいえ、ボクの妹は教職の世界なので、実の兄がパチンコドンキホーテだということはいまだに周囲には内緒です。
“どんなマンガ描いているの?”って質問が一番恐いと言ってるくらいです。
妹が堂々と胸を張って、“ウチの兄はパチンコドンキホーテです!”と言える日は永遠に来ないのかもしれません。
パチンコをメジャーに出来る日は一体いつになるのでしょうか?
P.S. 昨日大勝ちしたので今日は実戦なしです。
▼2025年12月トータル収支
+16万3500円
▼2025年トータル収支(※12月13日現在)
+350万3800円
▼総トータル収支
1994年3月31日~2025年12月13日
+1億503万5840円