辻家の人々

【連載小説「辻家の人々」】025 彼女の存在が父にバレる

ある日の夜。

珍しく父親と2人で食卓を囲んでいた。しかし、家族団らん…という雰囲気は全く無く、許されるならば逃げ出したくなるような重い空気だった。

重い空気の原因は、僕の恋愛事情にある。

僕の2軍落ちを救ってくれたクラスメイトのOさん。あの日、Oさんは牛乳プリンを僕にくれた。それをきっかけに、僕たちの間には会話が劇的に増え、気が付けば毎日のようにメールをするような仲にまで発展していた。

野球に熱血な高校球児とはいえ、中身は普通の男子高校生である。恋愛したい、彼女が欲しい、エッチなこともしたい、そう思ってしまうのは自然なことだろう。

Oさんと親しくなるにつれ、その気持ちは爆発寸前にまで膨らんでいた。そして、ついにその気持ちを抑えられなくなった。

ある日の昼休み、生徒がほぼ来ない校舎の7階へとOさんを呼び出し、意を決して「付き合ってほしい」と告げた。

「よろしくお願いします」

彼女は受け入れてくれた。自分から告白したのは人生でこれが初めて。最高の結果に天にも昇る気持ちになりかけていた…その刹那、

『ガチャッ』

彼女になりたてのOさん越しに奥の扉が開いたのが見えた。そして、そこから姿を現したのは僕のことをドラ息子と呼ぶ野球部のコーチだった。

大失態。生徒が来ないからと選んだ7階のエントランスはコーチの部屋の目の前だったのだ。コーチは数秒間こちらをジッと見たのち無言で自分の部屋へと戻っていった。

幸運にも、我が野球部には「彼女を作ってはいけない」という掟はなかった。ただ、その時点での僕は、実力ではなく依怙贔屓で1軍の練習に参加させてもらっている身である。恋愛にうつつを抜かしてよい立場ではない。怒られるだけで済めばよいが、これが理由で2軍に落とされる可能性だってある。彼女ができた幸福感はすぐさま消え去っていた。

その日の放課後、いつもと同じように全体練習のために練習着に着替える。キツい練習をこなしながらも、僕は気が気ではなかった。いつ、コーチから呼び出されるかとビクビクしていた。

「野球をするためにココに来たんじゃないのか」
「正規の一軍に入るためには集中する必要があるだろ」
「恋愛している場合か」
頭の中でコーチからされるであろう叱責の言葉がグルグルと回る。

しかし、その日は結局コーチからの呼び出しはなかった。その翌日も、さらに翌日もコーチとの会話はすべて野球について。アレは僕の見間違えだったのか……と思うほど何の反応もなかった。

コーチやそれ以外の人からも何も言われないまま1週間が経過していた。

そして、彼女ができて初めての休養日が訪れた。当然、出来立てホヤホヤの彼女とデートをする予定を立てていた。

放課後になったら彼女と一緒に街へと繰り出す。それからあーしてこーして……などと考えながら、顔に浮かんでくるニヤつきを必死に抑えていた。昼休みに入り、周囲の友人たちと他愛のない話をしている最中も、頭の中はデートのことでいっぱいである。するとその時、携帯に一通のメールが入った。

メールは父親からだった。

『今日は練習休みだろ? 話があるからまっすぐ帰ってきなさい』
瞬間、目をそらしていたある事実が眼前に迫ってきた感覚になった。ある事実とは、我が野球部のコーチと我が父親はツーカーの関係である――ということだ。

僕のことを「ドラ息子」と、父親ありきのあだ名で呼ぶことからもわかるように、コーチにとっては僕自身よりも父親との関係の方が長く、深い。つまり、僕の学校生活も練習態度も、その全ては父親に筒抜けなのだ。

その事実を失念……というか考えないようにしていた。このタイミングで父親から『話がある』ということは……そういうことだろう。

僕は泣く泣く初デートをキャンセルし、言いつけ通りまっすぐ家に帰った。

――ここで冒頭の食卓のシーンへと戻る。
食卓の空気も重くなろうというものだ。

会話はない。僕はいつ話を切り出されるかとビクビクしていたし、父親もどう切り出そうか考えているような雰囲気だった。そして、ようやく父親が重い口を開いた。

「お前、彼女ができたんだってな、おっぱいの凄く大きい子」

ほら、きた。やはりコーチが…って、今おっぱい、と? 息子に向かっておっぱい、と?? そう思うと急激に恥ずかしくなった。確かに、彼女であるOさんは高校1年生にしては類稀なるソレをお持ちだった。

それにしても、だ。その切り出し方はおかしいのではないかと父親の顔をパッと見てみるも、こちらを向くそぶりはない。もしかしたら、和ませに来たのか。よく見ると父親の耳が若干赤くなっているのがわかった。

そもそも、コーチもコーチだ。教師の立場でありながら生徒のおっぱい事情までも報告するとは何事か。時代が時代でなくてもアウトである。ただ、父親とコーチとのやり取りにそんなワードが入ったことを冷静に分析するならば、事はそれほど重大ではないかもと推測できた。

もし本当に「高校野球生活における恋愛の是非」云々が問題ならば、おっぱいの話にはならないハズ(そう信じたい)。コーチも笑い話として報告し、父親もそう受け取ったに違いない。

「まぁ仲良くやってるよ。大丈夫、野球を疎かにすることはないから」

あえて冷静に、落ち着いて返すとともに、おっぱいについてはリアクションをとらなかった。これは息子としての父に対する慈悲である。

すると、父親はようやくこちらを向き、「別に悪いことではないからな。俺もママがいたお陰で野球にも集中できたし、プロにも入るきっかけを作ってもらった。力に変えて頑張れよ」

よかった。ここ1週間ほど抱えていた悩みが無くなった瞬間だった。彼女ができた嬉しさだけを胸に野球にも集中できる、そんな確信があった。理解ある父親に感謝しつつ、これからはより一層頑張ろうと決意した。

頷く僕に、父親はこう呟いた。
「ママもな」
「昔は大きかったんだぞ…」
……知らんがな。

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