コラム

恒例の演劇部OB新年会

北九州小倉駅周辺のホールもシン・エヴァンゲリオンはビッシリのお客さんで、昔より海のお客さんが減っている代わりに近年爆発力がUPしたスペックの新台へ、常連さんたちが流れている感じで、パチンコのゲーム性の豊富さが、より個人の好きな台に広がりを見せているのか、どこもバラエティコーナーの客付きが高いのに驚きます。

1月3日、お正月気分を冷めさせた小倉の鳥町食堂街の35店舗近くが焼失した大火災の焦げ臭い匂いがまだ漂う魚町の商店街は、新年会の若者たちや仕事始めのサラリーマンたちでにぎわっています。

USJやディズニーランドから九州の温泉地を、湯布院から黒川や鹿児島に宮崎まで旅した仲良し演劇部の面々です。
ボクをパチンコの世界へといざなったタカヨシも元気です。北九州市が元気だった1953年に生まれ、1972年まで共に過ごした北九州の思い出は、東京に出て52年経っても消えることのない大切な宝です。

ドンキホーテ誕生とパチンコ100年史は、パチンコランドというコンテンツにアクセスするとすぐご覧になれます。
パチンコの1953年から2020年までの歴史を知ることが出来ます。
パチンコ漫画誌では読めない人間ドンキホーテの一生です。

子供の頃の思い出から、今日集まった高校演劇部のみんなとの数々のエピソードから、上京してマンガ家修行中の出来事に、27歳で独立して少年誌、週刊少年ジャンプで“ショーアップハイスクール”と青年誌、週刊漫画TIMESで筒美廣平のペンネームで“復讐の兇獣”でWデビューして、あらゆると言っていい出版社で仕事をした出版バブル時代を経て、1994年3月31日の初代CR花満開に出逢ってからのパチンコドンキホーテの誕生へと物語は続いています。

これらのプライベートエピソードに必ず登場するのが、この演劇部のメンバーです。
読者の方には名前を覚えてしまった方もいるほど、ボクの30年のパチンコ漫画家人生に欠かせないメンバーです。
みんな70歳のおじいちゃんおばあちゃんですが、気持ちは高校生のままです。
利害関係の一切ない、フランクな友人は永遠の友です。
それぞれの思い出の中で生き生きと若い頃の自分が蘇るものです。とりとめのない話題が尽きることなくはしゃぐ老人たちは、誰にも止められません。
この仲間たちがいたから“いまの自分がいる”と思ったら、かけがえのない存在なのです。

中でも仕事で一時期上京していた森とは、新小岩のマルハンのグランドOPENで遭遇して、初代天才バカボンでバカ勝ちしたり、吉祥寺のホールでバッタリ会って寿司屋の大将でバカ出ししたりと、爆裂の思い出が次々に出てきます。
単身赴任中で、ボクの仕事場に泊まったりした思い出も懐かしい限りです。

なんと言っても、ボクをパチンコに目覚めさせたパチンコドンキホーテ連載時の名アドバイザーのタカヨシは、1年後輩ですがパチンコでは大先輩になります。
彼が上京して毎朝布団をたたんでホールへ行って帰ってくると、夜アシスタントたちに差し入れを買ってきたり、勝って貯めたお金で北海道旅行に行ったエピソードは、現在YouTubeの京楽チャンネル密着パチメンタリーにも出てきます。

あの時、パチンコは勝てるモノというイメージをボクに植え付けてくれたことが、現在プラス9738万6740円になるパチンコ収支を作るキッカケとなりました。
パチンコ旅打ちも一緒に行った別府温泉の思い出も、忘れられません。
温泉地でもホールを見つけて打ったエピソードは、ガイドワークスの“ドンキホーテが行く!”のコミックスに残っていますので、電子書籍で是非ご覧になって下さい。

楽しい演劇部のメンバーとの一夜はあっという間に過ぎ去ってしまったけれど、またひとつ大きな思い出となってドンキホーテの心に刻まれるのでした。

P.S. 今日は実戦なしです。

▼2024年1月トータル収支
+5万2000円

▼2024年トータル収支(※1月6日現在)
+5万2000円

▼総トータル収支
1994年3月31日~2024年1月6日
+9738万6740円

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